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ビーチで見つけた貝殻たち。


どの国のどんなビーチでも、色んな貝殻に出会える。けれど、あいにくいつもRIOのスイミングで使っているセントーサ島のタンジョン・ビーチでは、数える程しか貝殻を見た事がない。これはらは、ある日そこで見つけた貴重な貝殻たち...。


セントーサ島のビーチの砂は、隣国(インドネシアだと聞いた)から持ち込んできたらしい。思いっきり人工のビーチだ。ここからフェリーで45分程度で行ける、同じくインドネシア領のビンタン島のビーチは、白くてサラサラの砂に混ざって、沢山の奇麗な貝殻が散らばっている。小さいけど完璧な形をした可愛い貝殻たちや、個性的な珊瑚のかけらがあちこちに落ちているので、海を眺めるよりも、忙しく貝殻拾いに精を出していた私。


オブジェとしてそのまま並べて飾っても素敵だし、ガラスの瓶に詰めて飾っても面白い。貝殻にはその貝殻にしかない独特な個性(色や形)があるので、どれを見ても飽きない。一度、ロンドンのテート・モダンという、現代アートで有名な美術館で、アーティストの名前は忘れたけれども、古い食器棚のような家具に大きな貝殻を沢山陳列しているだけ、という作品を観た。ただそれだけ...の作品なのだが、とても印象に残っている。そのアンティークな入れ物の中に佇んでいる貝殻たちの存在が、ノスタルジックなのだ。とても。貝殻も、大きいもので、子供の頭蓋骨くらいある。ひっそりと息をひそめて並んでいる化石のような貝殻が、不思議とその棚をフレームとしてマッチしていた。一瞬、何故か村上春樹著の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の中に出てくる、ユニコーンの頭蓋骨をコツコツと叩いて音を聞くシーンを思い出した。


そう、貝殻と言えば、私が今取り組んでいる油絵のオブジェクトが、まさに「貝殻とヒトデ」。ヒトデは漢字で書くと「海星」というくらいで、星形がちょっとコケティッシュでかつ、可愛い。それを白い壁に貼付けて、描いてみている。貝殻はかなり厚めのしっかりとした貝殻で、その滑らかさとつるつるとした感触を「白」という色の中で表現するのが、これまた想像以上に難しいのだ。波打つようなエレガントな面と、かちりとした質感。その対比を、様々な色や筆遣い、そして油や絵の具の量を調節しながら、描いていく。なかなか思うように形になっていかないのが辛いとこだが、でも「貝殻」をじっと眺めることで発見する事は沢山あって、その魅力がまたたまらなく面白い。


私にとって、「貝殻」とは何かしら意味があるのかもしれない。「石」もそうだけれど、自然が作り出すものの「美」は、計り知れないものがある。人間の想像を超えた、美しさ。なんか、そういうものに出会うと、ただ単純に感動してしまう。


そしてまた「貝殻」は、なんとなく「死」や「終わり」を連想させる。そして、荘厳な美しさを兼ね備えているような気もする。



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今週はずっとLOZがアメリカ出張で、私とRIOはお留守番だった。今回で2度目の1人と1匹生活。前回は1日過ぎるのが長くて、でもなんだか同時にRIOのお散歩(朝と晩)に明け暮れている日々、という感じだった。トレーニングも欠かさずばっちり毎日頑張った。そのおかげか、より一層私達の「絆」が深まったような...。


でも今回は、恒例の朝のビーチ&スイミングもしばしお預け。しかもほぼ毎日のように連続して出掛ける日々が重なり、自然とRIOを家に残す時間が長くなってしまった。おまけに後半は体調を崩したので、彼の望むレベルでかまってあげる事も辛くて、気がつけば家の中がRIOの毛だらけに。1日でも掃除とRIOのブラッシングを怠れば、汚れが目立ってしまう。いかん!!!と思いながらふらふらと頑張って掃除した。


それにしても、今回確信したことがひとつある。それは、毎回ちょっと長引いた用事の後に帰宅すると、家の中の何かが確実に破壊されているということ。これは前からちょっとだけ兆候があることはあった。観葉植物から始まって、大きなモノだとクッション。これはすでに2個使いものにならなくなった。ジッパーの部分を完全に壊してしまうので、もうカバーを取り替えるしかない。最近だとトイレット・パーパー。ちょっとしたドアの隙間からトイレに入り込んで、予備のトイレット・ペーパーを盗んでは噛みちぎって、1階のリビングの床を一面ペーパーだらけにしている。まるで巣の中の親鳥のように、その真ん中で丸くなり、せっせと巣作りに精を出している。外から葉っぱや土/石ころを家の中に持ち込んでいる時も...たびたび。


また、ある日戻ってくると、ドアの外から私のバッグが床に転がっているのを発見した。そして無惨にもポケット・ティッシュが食いちぎられ、おまけにハンカチもボロ切れに...。ショック!疲れて帰ってきて、まずする事は...破壊物を片付けること。怒る気力を振り絞って、せめて恨めし気にRIOの顔を眺めてみる。がっくし。説教モードに入ると、さり気なく視線を外す...が、反省の態度なし!


して良い事と悪い事の判別はついているはずなので、これは悪い事と解っていながらわざとやっているに違いない。つまり私に「サイン」を送っているのだ。「遅いよ!」という意味。だって、「ちょっと長くなったかもなあ~」という日に限ってこういう「サイン」を見つけるのだ...。しかも何気に寂しかったストレスをぶつけるかのごとく、上がってはいけないはずのソファーや椅子の上に足をかけたりして、挑戦の態度だ。こいつ、私を試してるなあ、と思いながら、なるべく普通の態度でササッと注意する。こういう時に逆上すると、かえって逆効果で、ほらきた~!とばかりに、ぐりんぐりんものすごい勢いで暴れまくる。ガス抜き。


本当に、男の子だなあ~、と最近つくづく思います。







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裏庭に入り込んだネコ。シャム猫ミックスのような、青い目のネコ。まだかなり若い。右隣のお宅はネコ好きで、お年寄りのネコと同居している。しかも、玄関先でノラにもエサをあげている。この見た目が優雅な白いネコは、ノラ。たまに塀を乗り越えて、我が家のフロント・ガーデンや車の下で寝ている。見た目に反して、かなり図々しい態度だ。


RIOは、基本的に動いていないネコには反応しない。きっと見えてないんだと思う。視界に入っていたとしても、気分によってとかその他の事に忙しい場合は、あまり気にしないでいる。けど、たま~にベランダから狂ったように吠えまくっている時があって、今はその吠え方の長さや種類で、「あっ、ネコだ」とか解るようになった。


とにかく、この美形ネコには、やたら興味津々で、いつも目をまん丸にして吠える。尻尾を振りながら。毛が白いから目につくのかもしれない。しかも、悠然と自分のテリトリー内で毛繕いなどをしているからな。この日は、珍しく裏庭の塀を渡って来た。最初は気付いていなかったRIOも、辺りをクンクンし始めて、何やら自分より高い位置から見下ろしている視線とぶつかる。火花パチパチ。


この瞬間、怒涛のような叫び(吠え)声と共に、大騒ぎするRIO。ネコはただそこで石のように固まって、やんわりと背中の毛を立てて威嚇している。RIOの騒ぎ具合もそうだが、もしネコがお庭におっこちてきたらどうしよう...と困っていると、ネコがさくっと向こう側に姿を消した。忍者のような早業に、RIOはまたまた驚いた様子で、裏庭をくまなく捜索し続ける。


永遠の片思い...。



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クラシック・バレエのトライアル・レッスンを受けた。


友人の潤子さんと一緒に。バレエの先生とは、絵のクラスの関係でお知り合いになったそう。けど、私はかなり前から、まだ引っ越す前の家の近所にあった先生のバレエ教室の存在を知っていた。ちらっと情報を耳にしては、うーん、クラシック・バレエやってみたいなあ、と密かに思っていた。


日本で仕事をしていた時、派遣で来ていた方でとても仲良くして頂いた女性が、クラシック・バレエのダンサーで、しかも先生をしていた。ミニのスカートから覗く脚は、いつも筋肉でビッと引き締まっていたのを憶えている。オフィスの中を歩くときも、パソコンの前に座っているときも、何気にダンサーな振る舞いだった。姿勢が良くて、手先がエレガント、というか。一度だけ、彼女の所属するバレエ団の発表会へ出掛けたことがある。鎌倉の方だったので、すごく遠かった。そして、子供達の演技がとても可愛らしくて、中には、エっ!?と思えるようなドスコイ体型の子供もチュチュ姿で踊っていたけれど、でもそれはそれですごく愛らしくて、微笑ましい(爆笑したかったけど)光景だった。


ロンドンでもバレエを観に行った。確か「英国ロイヤルバレエ団」で、当時吉田郁さんがプリンシパルとして堂々とパンフレットを飾っていた。観た作品は「SWAN LAKE」で、素晴らしいRoyal Albert Hallの円形状の舞台を上(客席)から見下ろす形で観賞する。照明の演出によって、まさに本物の湖を観ているような感覚。とても素敵だった。日本では、母と一緒に観に行ったロシアの「ボリジョイバレエ団」の公演が印象的だった。舞台から近い席でもあったので、ダンサー達の息づかいや、走ったりジャンプ着地時の音などがよく聞こえて、興奮した。そして公演会場の周辺には、息を飲むような美男美女の群れ(たぶんロシアからのバレエ・ダンサー)がうじゃうじゃと歩いていて、それにも興奮した。


まさか今になって、自分がバレエを習う、とは夢にも思わなくて、でも何度か、かつて習い事の鬼だった母に、何故「クラシック・バレエ」という項目が抜けていたのか訊いてみた。たぶん母自身、自分が習い事好きだったこともあり(いつも、趣味から本気になって資格/免許を取るというパターン)、子供であった私達には容赦なく様々な習い事を経験させていた。絵や水泳。そしてスキーやスケートも。スケートは、習わせてくれるというのですっかり「フィギュア・スケート」だと思い込んでいたら、それは「スピード・スケート」だった。女の子だからフィギュア、という夢は粉々に砕かれ、私はモジモジくんスタイルの帽子をかぶって、アメンボのようなフォームを必死に練習していた。友達のM子ちゃんは、足首がいつもガクガクしていて、半べそだった。もしもここで、フィギュアを習っていたら、「踊る=演技をする」という点でもバレエに共通するものがあったのだろう。けど、当時はそんな芸術的な分野からはほど遠いところで、どうすれば上手くスケートのエッジを効かせて一秒でも早くタイムを上げることができるのか、ということに専念していた。ま、それはそれで楽しかったけどね。湖の記録会とか、信じられないような美しい氷の上を滑った、素敵な記憶もある。


とにかく、クラシック・バレエ。母の答えは「バレエなんて考えもしなかった」らしい。そう言えば小学校低学年の頃、仲良くしていた友人姉妹が「新体操」を習っていた。棒にテープをつけた「リボン」をクルクルと回して見せてくれた。正直、それにもちょっと憧れた。マット運動は、大の苦手のくせに。そう、私は身体が固かった。跳び箱で手首を骨折してからというもの、より一層マット運動が嫌いになった。順番でどんどんマットの上に押し出されて行く時の恐怖。クルン、と回るというよりは、ゴロリン、ドサッという感じ。開脚前転/後転とか、それをして何の意味があるのよ!と憤慨の気持ちだった。今思うと、それらは単に、勢いとタイミング(とバランス)の問題だなあ、と思う。嫌い、とか出来ない、という気持ちが勢いを失速させるので、いくら手首で支えたりしても、無理。今ならすごく解る。(だからって、今ならマット運動完璧、というわけじゃないよ)


その後、高校時代になって「ダンス部」たるものに所属して、なんちゃってチア・ガールになったりもした。この時代でも私の身体は、まだまだ鋼鉄のように固くて、柳のようにしなやかな肉体を持つ先輩方が羨ましかった。本気で毎日「お酢」を飲んでみたくらいだ。特に目立って上手い先輩は、クラシック・バレエの基礎がきちんと身体に染み付いていた。当時の私は「ダンスはやはりリズム感が命よ!」と勝手に思い込んで、細かい部分でのダンスの基本には反発していたと思う。結局、先生の強制するダンスは、自分の求めているものと違うという結論に達し、1年も続かなかった。その後はもっぱらダンスは、ジムのクラスでだった。リズム感が抜群で、センスの良いステップを教えてくれるインストラクターが、とても格好良く思えた。結論→何事も習い事は、教えてくれる人への尊敬の念が無いと、続かない。


なんだか、とりとめの無い話へと展開してしまった。結局、私とバレエの歴史について述べてみたかっただけ。で、肝心のバレエのトライアル・レッスンはどうだったのか?というと...死にました。思った以上にハードで。例え初級クラスであっても、初心者とは違うのよ~、と心底思った。鏡の前でバーに手を添えながら基本のポーズをとる私の姿、無惨...。少人数制なので、ごまかしが効かない、というか。姿勢から動き方まで、普段とは全く異なる筋肉(と骨)を使うので、それも一苦労。でも!今までずっと観る側だった、想像の世界だったクラシック・バレエというものに、生まれて初めて本気(?)で取り組んだという、気持ちが嬉しかった。素敵な経験だったし。ポーズをとる先生の姿を眺めるだけでも、目の保養になった。うっとり。


週1度のレッスン。今後どうなるんだろう?ちょっと続けてみようかな、という誘惑にかられている。



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RIOも来月で満1歳になる。


2ヶ月ちょっとで我が家に来てから、はや9ヶ月。本当に色んな事があった。その頃片手でひょいと抱えられてたのが、もう両手両足を使っても持ち上げられない。し!時々彼に軽く足を踏まれて、あまりの痛さに泣いている。
...どでかくなったねえ。


最近、ふと見せる表情が大人っぽくてドキリとする。


少しはロットワイラーらしくなってきたかしら。







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「HATHA FUSION」を体験。


「HATHA YOGA」とは、一般的に基本的なヨガのスタイルを意味して使われているらしい。なので、私もあえて意識してはいなかったのだが、実は「HATHA」という言葉は「太陽と月」という意味があるということ。そして、その「陰と陽」を統合することがハタ・ヨガの目的で、呼吸と身体を使う事で、自分の潜在的なエネルギーを引き出す事が出来る。そんな深い(?)ヨガだとは知らなかった。


実際に、クラスの音楽がすごく神秘的な感じで、最初「おおっ!!」と思った。確かに、自然の神秘を意識した演出なのだ。ハタ・ヨガのポーズ自体が、植物や動物を表現したものというのはよく知られているけれど、そのポーズをとる事で、「陰と陽」「太陽と月」、そして「こころとからだ」といったような相反するものの調和を意味している。なので、ひとつひとつのポーズに全身全霊を傾けることが、大事な点なのね。ずばり、なりきる!ということ。


普段通っているヨガのクラスが、あまりにも筋トレに近いので(POWER YOGAなど)、音楽を聴いているだけで瞑想の世界に入って行けそうな、この「HATHA FUSION」をかなり気に入ってしまった。心なしか、インストラクターの声も低くて落ち着いているし。ペースもゆっくりだ。新しいアーサナもあった。しかし!それが、鬼のポーズで、私には全くできない種類のものだった。回数を重ねればなんとかできるアーサナと、どう考えても自分の骨格を考えたら不可能に近い、という種類のアーサナ。「HATHA FUSION」のクラスには、どちらかと言えば後者のアーサナが多かった...。ガーン。


ペースがゆっくりなので、ひとつのアーサナに悪戦苦闘していると、やたら目立つ(ような気がする)。そして自己嫌悪。あんなおじさんだって、できてるポーズなのにい...と思って悲しくなる。けど、ヨガは決して他人と比べるものではなく、常に自分の肉体と向き合って会話していく事がポイント。なので、悔しいけど自分のできる範囲でレベル・アップを目指すしか無い。私の場合、膝と股関節が固いので、膝を曲げたままその脚を首にかけたりするアーサナが苦手。あと背筋も弱い、というか固い。


ま、どちらにしろヨガも、復習を兼ねてしっかり自宅で練習しなくては、向上も何も期待はできない。もう少し続けてこのクラスにも出てみて、他のヨガとの違いを楽しみたいと思っている。




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