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日本に帰ると、まず空気の乾いた感じに気付く。サラッと肌をなでるような空気の感覚が新鮮。爽やかで嬉しくなる。でも、数日後には肌のカサカサ感が気になってくる。ただ、髪の毛は妙にサラサラになる。水の違いかな…。


季節の移り変わり目に見る微妙な空気の揺れ、が懐かしい。自宅から近い沼の近くを、夕暮れ時にはよく散歩した。夜風がぬるく、空が柔らかくこちら側に沿っているように感じる日もあれば、パリッとした空気に背筋を伸ばし、果てしなく遠くに感じる空をただ見詰めた日もあった。一度、沼の向こう岸に見える大きな月を見て、シンガポールにはこんな月が無いと思った。音も無くただ夜空にひっそりと張り付いている美しい満月。完璧すぎて怖くなる。月の光りで幻想的に見える沼の水面。月に背を向けて歩くと、まるで後ろにどんどん迫ってくるようで焦った。


先日、シンガポールでも大きな月を見た。周囲が明るいので、いまいちその存在感が薄い。でも、キラキラ光る高層ビルとの間に見える月は、まんまるで、日本で見たあの月によく似ていた。ただ、色はどちらかと言えば金色に近く、日本で見た青白い狂気に似た美しさには程遠い優しい光。どれだけ見ていても不安な気持ちに駆られることはなかった。


月-にはとても不思議な魅力があると思う。昔から、あまり月の光にあたりすぎると気が狂う…といわれているように、何故かこう自分の生理的な感覚に強く訴える独特な力が存在している。学生の頃、夜中に外に出てふと見上げえた夜空に見える月たち。ある時はあまりにも薄くて頼りない。半分透き通っている。「貧血の月」と名付けた。そして私の意思や感情もそれに重なるように、頼りなくゆらゆらと揺らいだ。色っぽい月、もある。濃くて艶々でたっぷりとした質感。そして輪郭もくっきり。発散する光は地上まで柔らかく届いて、非常識な事を仕出かすにはもってこいの演出。気持ちも少しだけ背伸びできる。


星が良く見える土地に住みたい、という人は沢山いると思う。夜空に瞬く星はとてもロマンティックで、健全なムードが漂う。キャンプ・ファイヤーに星空は欠かせない。流れ星なんかサラッと空を走り抜けたら、もう最高、だろう。でも、私は曇り空の隙間にちらっと見える月の光を眺める方が好みだ。幾層にも重なった雲のグラデーションの間に浮かぶ月の美しさは、例えようも無い。なんかこう控えめな迫力みたいなものがある。不健全で淫靡なイメージにも良く似合う、というか。


私好みのアートだ。



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シンガポールには四季が存在しない。


雨期と乾期という区切りがあって、雨期は当然頻繁に雨が降るし、乾期は非常に暑い。シンガポールに10年近く住んでいた父の友人に「シンガポールは雷が面白い」と言われた。晴れていた空が少しどんよりしたと思ったら、稲妻が空を走り、雷が轟き、そしてシャワーが地表を揺らす。跳ね返す雨の力が強いので、街全体に靄がかかる。そして巨大な雨粒。それがバンバン降って来るダイナミックな眺め。外出時や移動する際のシャワーは厄介で、タクシーもパッタリとつかまらなくなる。けれど、そんな豪快な雨を見ていると、自然ってすごいなあと単純に感心してしまう。それくらい迫力がある。


稲妻のバリバリバリッという裂けるような音は、慣れるまで少し怖かった。空がピカピカ光り始めると、あっという間にゴロゴロ音が響いてくる。その後地面まで届くようなドドーンッという音が追いかけてくるんだけれど、高層のコンドミニアムに住んでいる人が、そのドドーンッで建物が揺れたと騒いでいた。地震の無い国シンガポールは、かなり不安な構造の高層住居や建物も結構多い。揺れるなんて…怖すぎる。


四季が無い国に住むということに、最初はそれほど気にもかけなかった。日差しが刺すような暑さは苦手。すごく疲れるのだ。けれど、スチームなどで蒸されるようなジワジワとした暑さには割りと強い方かもしれない。サウナも昔から好きだったし。ただ、四季が無い分時間の感覚がおかしくなるような気がする。私は基本的に記憶の大部分は恋愛や人との出会い、別れが中心に印されていくものだと思っているが、その中でも気候や体感する季節感などは、結構重要な役割を持っているのではと感じる。公園の滑り台の下で、雨宿りをしながら恋する人を待つ時の記憶。そこにはやはり甘い香りのする春雨が強烈に存在している。恋に悩み、脱力感と共に空を見上げた時の、その空の透明なことといったら!冬空特有の遠い空に自分の濁った気持ちを濾過してもらいたかった。


さほど変化のない気候の流れの中、時間は確実に過ぎていく。歳を重ねることにそのスピードも加速していくような気もする。今後さらに増えていく記憶の片隅には、きっと自分で感じ取れる分だけの微妙な季節感が、そこに刻まれていくのかもしれない。繰り返される雨も雷も、夕日も朝焼けも、毎回絶対に同じではないのだから。今はただこの国の緑に秘められている生命力の力強さ、を堪能したい気分。あのダイナミックな雨や雷が育んでいるこの緑。ひと濡れしたら、すぐにぐにゅぐにゅと音を立てて伸びていくのが見えるような気がする。


この小さな国の、大きな神秘。




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-ロンドンからシンガポールへ-


シンガポールに住み始めて、今月で丁度2年になる。2年前の今頃はホテル住まいで、住居を探していたんだな。今振り返ると、すんなりと新生活が始まった感触ではある。けれど、その時は自分達の気に入る住居が見つかるまで、そして納得がいくまで、かなり多くの場所をチェックした。結局今の住居の環境やインテリア(家具付きのため)が自分達の生活イメージに合った。街の中心部にも徒歩圏だし、川沿いにあるためにそこそこの空間が存在し、窓からの視界も良かった。コンドミニアムなので、セキュリティやファシリティが完備されている。プールも他のコンドミニアムよりプライバシーを保てるデザインになっているので、住み始めてからは嬉しくてよく泳いだ。特に早朝にはプールから朝日で次第に眩しくなってくる空を眺めながら、そして夜になるにつれて青く綺麗に染まっていく夕方や夜中にこっそり水に浸るのは、最高の気分。基本的に1年中そんな感じでプールに入れるこの気候には、年末年始にヨーロッパから帰ってくる時ほどありがたく感じることはなかった。とにかくヨーロッパの冬は寒くて、何と言うか、特にイギリスなんか利便性に欠けている風土みたいなものが身体にこたえる。頭や心では、色んな不便さがあってこそ生活に味が出る、といった風に受け入れようとする余裕があるんだけれど、身体はもっと正直で、そういったあきらめを容認するまで時間がかかったりする。シンガポールに到着し、チャンギ空港で嗅ぐ熱帯地方独特の香り。常夏の植物と水分の多い空気が入り交ざっている。それらをぐーっと思いっきり吸い込んで、「あー、ただいま。」って思う時の幸せ。


故郷の日本は別として、特にヨーロッパやアメリカから帰ってくるとそんな気分になるのは、どうしてだろう。その時の気候ももちろん大きく関係しているとは思うけど、おそらく緊張度が違うんだと思う。やはり西洋圏で生活すると、無意識のうちに肩の力が入っているのかもしれない。ロンドンに住んでいる時、LOZの海外出張にはよく一緒に行った。近場だとフランスやアイルランドやドイツ。そして遠い国だとシンガポールやオーストラリアなど。飛行機で十数時間もかけて訪問するシンガポール出張は、とにかく雰囲気が楽で大好きだった。同じアジア人に囲まれてるのって、こんなに気持ちが楽になるなんて以前の私には考えられない発見だった。とにかく何もかもが新鮮!!!食文化も豊かで、何よりも全てが便利この上ない。もちろん日本のサービス文化と比較したら劣る部分は山ほど指摘できる。しかし、イギリスに比べたら!!!大都市のロンドンでも、ちょっと想像を絶する不便な事が日常茶飯事なのだ。古いものを尊重する歴史が住居や生活環境、そして交通の様々な面に大きく影響している。もちろんイギリスは大好きな国のひとつ。特にロンドンには数え切れないほどの大切な思い出がある。コンサバティブでスノビッシュな部分とクールでスタイリッシュが混在している刺激的な大都市。一歩家から足を踏み出せば、そこは面白いものだらけ。その辺を歩くだけで沢山の出会いに遭遇し、全く飽きさせない。


アンティークやジャンクが好きな私にとって、ロンドンは宝箱の中を歩いているような感じなのかもしれない。美術館や博物館を巡っては奇跡的な美の数々を堪能し、マーケットを覗いては自分だけの宝物を物色したりする。それが最高に楽しい。1人で1日中足が棒になるまで歩き回ってる。古本屋巡りだけでも1日が軽く潰れる。とにかく古くて綺麗なものを探すのが好きなのだ。特に価値がある物とかそういうものを重点的に探しているわけではないので、物理的に収穫は無くても、心はたっぷり満たされる。今現在私が住んでいる地域の周りには、シンガポール川に沿って、昔この川を交通手段として交易していた名残を残す古い建物がある。おそらくその大部分が倉庫や事務所として使われていた形跡。かなり状態は痛んでて、窓や屋根からも草木が伸び放題。けれど趣があって、そのレトロな雰囲気がお気に入りだった。たまに中から鳥が飛び出してきたりすると、その瞬間時が止まってキラキラと輝いた。実際、シンガポールには数々のそんな懐古的なセンスの良い建物が朽ち果てる一歩手前の状態で残されてたりする。最近になり、その場所に新しいコンドミニアムが建設されることを知った。対面に建つ倉庫のような建物も、改造されてすっかり現代的に生まれ変わった。昔のデザインのレトロな感じは消失した。日本でもそうだが、昔ながらの素敵な建造物が取り壊され、なんの特徴も無い現代風の家が建てられたりすると、がっかりする。風景にしっくりと溶け込んでた美しい木や草花がポッキリ折られてしまったような気持ち。そんな時、外側だけでも古さを重んじて大切に保持しようとするヨーロッパの文化を思い出す。いくら不便で修理を必要としても、美と共存することの心地良さ、潔さという宝物。


シンガポールに来て大きく変わった点のひとつに、私自身もある。結婚して全く文化や価値観の違う国、イギリスで暮らし始めた私をサポートしてくれたのは、もちろんLOZであり、彼の家族や友人達。あえて言えば彼の生活圏に私が迎えられた、ということ。言葉の問題-買い物先や郵便局でちょこっとつまずけば、ガツンと落ち込んでしばらくは外出したくなかった。失敗することが怖くて、いつもドキドキしてた。ロンドンは本当に国際色豊かで、生粋のイギリス人に出会う確率が意外と少なかったりする。移民も多い。当然話すスピードやイントネーションにも慣れる必要があった。ネガティブな気持ちで外を歩けば、自然と表情も曇り、嫌な出来事ばかり呼び寄せている気がした。腹が立つ事があれば、天気や人のせいにしたし、ちっぽけな事だと笑い飛ばす余裕が無かった。今思えば、一体何だったんだろう?シンガポールという国で暮らし始める際、全てが平等に感じられた。私もLOZも同じスタート地点で、新しいことに触れていく。住居を探すところから住居環境の整備に至るまで、お互いに出来ることを協力し合った。たぶんイギリスだと、私はその殆どをLOZに甘えて依存していたと思う。もし日本で暮らしていたら、その反対に全て私がしていただろう。2人で話し合い、考えること-結婚して、お互いの新境地で手を取り合い少しずつ何かを形作っていく、その作業の尊さを改めて感謝したい。この経験で、2人とも非常に強くなれたと思う。LOZも仕事の環境が大きく変化し、様々な挑戦を続ける日々。本当に数ヶ月単位で予想もつかない生活の変化が続いている。けれど、どんな時も「私達にとって何が一番大切なものなのか」を確認しながら生きていくことで、ただ単純に救われてる。


今後、どんな土地でどんな出会いを体験するのだろう。いつも自分自身を素直に見詰めようと思う。常に物事を見極め、余分なものを捨てることを恐れず、整理して、今後訪れるであろう沢山の貴重な経験を受け止める容量を確保する。そして確実に自分に必要なものだけを選別し、吸収ていきたい。戸惑ったら、その場で立ち止まり、とことん考え込んで結果を出してみれば良い。疑問に思ったら話し合えば良いし、好きなものには好きだと大声で伝えたい。


そうやって、シンプルに生きたい。






シンガポールに来て、ヨガを始めた。


最初の1年は自宅から徒歩3分以内のジムのメンバーになり、主にマシーン・トレーニングやストレッチを中心にそこを利用していた。そことは別に近くのダンス・スタジオで「ピラテス」のクラスに通っていた。オーストラリア人のダンサーが先生。生徒の数が少なくて、ほとんどプライベート・レッスンのような感じだった。ピラテスを始めて、普段自分では意識して動かさない筋肉の痛みを感じるのが新鮮だった。色んな筋肉に意識を集中して丁寧にトレーニングするので、細かい動きでもかなり辛く感じたりもした。きついポーズをとるとき、呼吸が止まってしまうことに気付く。息を吸って吐くという単純なことでも、正しい方法を学ぶのは意外と難しかったりする。


その後、近所のジムの更新を機会に、規模の大きなジムへ。徒歩圏で広く利用時間が長い。しかもマシーンの数が桁違いに多い。ウェイト・トレーニングが趣味なLOZも満足。ただ、利点が多い分人気があり、いつも混んでいる。「ヨガ」のクラスは、曜日と時間にもよるが、大概は時間ギリギリに飛び込んでもスペースは確保できる。他のクラス(例えば「BODYPUMP」というダンベルを上げながら動き回る、ウェイト・トレーニング+エアロビみたいなものや、格闘技のポーズをリズムに合わせてする「BODYCOMBAT」等)はとても人気があって、手を伸ばせば隣の人にぶつかるくらい混んでいる。一度「BODYCOMBAT」に挑戦したが、3分も経たないうちにクラスを出た。隣の人を蹴飛ばしそうだし、息がつまりそうになる。そして何よりも、同じ動きをする大量の人に酔った…。


ここの「ピラテス」のクラスは、たまーに参加する。若い男性のインストラクターで、鍛え上げられて締まった身体。なので、使っている筋肉がとてもわかり易く見えるし、説明も丁寧。また、動きやポーズが間違っている生徒には、ちょっと嫌味っぽく注意したりもするけど、好感が持てる。時間が微妙なので毎週は行けないのが残念だけど。


そして、「ヨガ」。そこのジムには基本的には2人のヨガ・インストラクターが居る。男性と女性。男性の方は主に「アーサナ」が中心。女性は「アシュタンガ・ヨガ」を中心に、あとは「パワー・ヨガ」のクラスも持つ。「太陽礼拝」のポーズを主軸に、動作を連続的に行う「アシュタンガ・ヨガ」は、最初目が点になるくらいきつかった。それぞれの動きには必ず呼吸がコンビになっていて、それを途切れずに行うのが特徴らしいが、呼吸を意識する以前に、「太陽礼拝」の動きをマスターするのが課題だった。途中、辛くなって動きが止まったり、腕が痛くなってぷるぷる震えたりもした。はっきり言って、これは筋トレに近い辛さだ。
 

そして最近のパターンは、週2回、「パワー・ヨガ」と「アシュタンガ・ヨガ」のクラスをそれぞれ取っている。あきらめずに続けていくうちに、男性の「静(アーサナ)」中心のクラスでは物足りなくなった。最初は死ぬかと思ったくらいきつかった「パワー・ヨガ」も、今では楽しんで参加している。痛くて辛いものは続かない私でも、ヨガは何故か飽きない。そして先週できなかったポーズが今週クリアしたときの快感!バランスを取るコツを覚えると、かなりアーサナ自体も簡単に出来るようになる。クラスが終わる度に、家で復習しよう!と誓うんだけど、これがなかなか、ね。家でマットを敷いてヨガのポーズをしようもんなら、RIOが目の色を変えて飛んでくるもんで…。なになになになに!!!なにそれ、面白い遊び~!!?というぐあいに。



こんな顔で…。

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ヨガ、奥が深いぞ。もっと本などを読んで、色々と研究したい。



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昨晩夢を見た。


たぶん、毎晩夢は見てるみたいだけど、昨晩の夢はかなり強烈だった。今もドキドキ…。半分寝ぼけて起きて、隣に寝ているLOZを起こした。


しまった。正直言って、夢の内容は覚えていないことに今気がついた。


目が覚めて起き上がると、自分の枕を見て固まった。何故ならそれは私の枕ではなくてRIOなのだ。しかも身体の半分をLOZの頭に押し潰されている。息もしてないようで、微動だにしないのだ。ショックな私は、心臓をバクバクさせながらよーく目を凝らして見詰める。自分の中でこれは果たして枕なのかRIOなのか!!?という疑問が闘っている。やっぱりどう見てもRIOだ。RIOでしかありえない!!!と断定した私はLOZの名前を大声で叫んだ。


「ねえ、RIOを見て!!!RIOがここに居るよ!!!」

「!!?」

「RIOがここに居て、半分潰されてるよ!!!」

「!!?(私の名前を呼ぶ)、…何言ってるの?」

「RIOが息してないよ!!!潰されてるんだってば!!!」

「!!!(私の名前を大声で呼ぶ)、よく見て!!!君の枕だよ!!!ま・く・ら!!!」

「…そ、そんな…」(ドサッ!!!←ベットに倒れ込む音)


息をしていないRIOは、いつの間にか私の枕に戻っていた。おかしいなあ、確かにRIOに見えたのに。絶対に色も黒くて、彼のお腹のなだらかな曲線までそっくりだった…。私の確認しようとする意識はかなり冷静だったと思う。冷静に寝ぼけてたということか。けど(死んでるかもしれない)RIOだと確信した私の身体は、一瞬にしてガチガチに凍ってしまった。もう、どうしよう!!!という言葉が100回くらいぐるぐるぐるぐる。


で、実際のRIOはというと、リビングの床の上でへそ天になって寝ていた。


時々、ガーガー昼寝しているRIOを見て、あまりにも寝息が静かだと、お腹らへんを見て呼吸しているか確認してしまう。時には目まで開いて寝ているので、ちょっとドキッとしてしまうのだ。あー、でも夢で良かった。心臓に悪いけどね…。


でも実は私もその昔、寝ている時にLOZに息をしてるかチェックをされたことがある。そして寝ているふりをしているついでに息を止めて死んでみたりすると、猛烈に怒られたのであった…。





RIOの初めてのシャワー。

なんか、冷たい。


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ねえねえ、もう良い?


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あっ、ドアだ。


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ねえねえ、ドアだよ。


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じゃ。


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シンガポールに来て新しく始めてみた事 - ヨガと油絵。


この2つは私の生活観や価値観等に大きな影響を与えたと思う。まず油絵のこと。小さな頃から絵を描くことが好きで、転校したての中学校の試験でも、美術の実技試験だけは100点をとることができた。東京の中野に住んでいた時も、母の知り合いが営んでいる「絵画教室」に行くのはとても楽しみにしていた。なんといっても自分の好きなモノだけを描いて良いし、気分が乗らなかったら、そこで好きなだけ絵本を読んでいても良いから。お菓子も食べれるし、優しいお姉さん達も居た。色んな材料を使って、自分の世界に入り込む。スケッチブックには自由な形で個性が舞った。


私が小さな頃の記憶 - 母の油絵道具。


リビングは絵の具のギトギトした匂いが充満して、汚れた新聞紙の上にはイーゼル。妹と一緒に変な、器械体操みたいなポーズもとらされた。デッサンの練習。展覧会前は母の殺気立った後姿を遠目に見ていた。その後、引越しが続き、それに伴って母の趣味も英会話や水泳と移行していった。私の油絵の印象は、とにかくギトギトしていて汚くて道具が多くて大きくて、ヤッカイな趣味だな、という感じ。でもいつかは自分も経験してみたい、と漠然とは思っていた。


シンガポールで油絵を描き始めた。最初は静物画。夢中になった。先生が次々と変わって、教授法も変わり、絵も変わった。ある先生に私の絵は「演歌調」だと指摘されて、演歌が苦手な私は「え~」っと思ったけど、その言葉を頭に私の絵を観察したら、それも上手い表現方法だなと感心した。私の絵は特徴があるらしい。とにかく「青」が大部分を占めているし、あとは「紫」や「ターコイズ色」等が多い。あと、筆の切れ方みたいなものに締りが無い。いつまでも垂れ下がっている、というか、尻すぼみというか。線の端をキリッと締める絵を描かなければ、と反省した。


レッスンが終わると真っ先に本屋に向かい、好きな画集などをチェックする。そしてしばし世界の巨匠達の作品に溺れる。至福の時間。そして地獄の時間。あまりにもさりげなく簡単そうに見えても、ものすごく緻密に計算されている数々の名作。色の配合も量や配置のバランスも、全てが完成されている気持ち良さ。その一つの線や点が織り成す、抜群の効果。ため息が出る。何冊も画集をめくっていると、気がつけば何時間も時間が経っている。この絵達、全部買い占めたい気持ち。


実は最近は絵を描いていない。そしてピンクやベージュが気になる色。これは劇的な変化だ。私の中に何かが起こっているに違いない。今までとは全然違った絵が描けるかもしれない…。





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RIOのニヒルな(?)笑顔。
まるでElvis Presleyのような。


時々、上顎の肉(正しくは口吻というらしい)が下の犬歯に乗っかって、
ちょっと斜めの角度でめくれるのが可笑しくて、
ゲラゲラゲラと喜んでたら、


いつの間にか嬉しいことがあると、そういう顔をするようになった。


振り向くと、Elvis。
散歩の前も、Elvis。


あと、お肉を発見すると、すごいよ。


ずっと、Elvis。
果てしなく、Elvis。



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Discipline-躾-について


RIOと一緒に暮らし始めて、数日後。動くものには何であれ素早く反応して飛び付き、しかも小さくて鋭い歯を食い込ませる。まず犠牲になったのはカーテンと私達の脚。カーテンはくるんとまとめて片隅に寄せると、RIOの興味はすぐに薄れた。けれど、私達が歩く度に脚にまとわりついてズボンに喰らいつく。正直これには、参った。声を上げても下げても無視しても、さらに飛び付く勢いが増してくる感じ。手も出した。トレーナーさんの指示で、タオルを揺らして飛びついてきた瞬間、手を見せないようにして体罰を与える方法も試した。これはかなり効いて、しばらくは顔の前でタオルを揺らしても飛びつかなくなった。でもほんの数分間…。


歯が皮膚に当たるのも、日に日に痛くなるし、脚なんか痣だらけ。おまけに、飛びつかれて歯が引っかかったまま引っ張られて破れた服も数知れず。一度なんか中指の爪と肉の間にグッサリと刺さり、1週間くらい何を触っても痛かった。冗談ではなく、息がかかっても水が当たっても痛い。ピアノも弾けなかった。寝転がって遊んでいたら目にパンチをくらって、その日1日は目が充血して痛くてたまらなかった。そう言えばLOZの鼻の穴にも、RIOの鋭い犬歯がまるで釣り針のように完璧に引っかかった。そして血が出た。容赦なく。…これは人のことだったからちょっと面白かったけど、もしも自分だったらと想像したら涙が出そう。


大型犬はちょっと歯が当たっても、かなりの大事故につながる場合が多い。体重がある分、軽くぶつかったら子供など簡単に倒されてしまう。「躾」を考えるとき、やはり最低限のルールとして、人間には絶対に歯を当てない。犬にとっては遊びでも、度を過ぎれば怪我になる。RIOの歯が全部生え変わったら、もう私の腕など朝飯前に噛み砕けてしまうだろう。


毎日RIOの身体を触っている。ブラッシングし、蒸しタオルで拭き、耳の中の汚れを確認してから口の中を掃除する。一度痛い思いをさせてから爪はなかなか切らせてくれない。ので、タイミングを見計らって、誤魔化しながら手入れする。歯磨きをするときには、手も指も当然口の中に入る。歯が当たる。けれど、最近のRIOは絶対に口をきつく閉めたり、私の皮膚を噛んだりはしない。どんなに嫌な感じで触っても。これは信頼かなって、ちょっと思ったりして。タオルにはガウガウ噛むけどね…。


怒る、という行為はなかなか奥が深い。怒る事には沢山のエネルギーが消耗される。そこに愛が無ければ、怒ることさえもできない。RIOが3ヶ月くらいのとき、もう事あるごとに苛々して大声で怒鳴ったり、物音を立てて威嚇しようとした。RIOの気持ちや状況を察するよりも先に自分のストレスを解消したかった。しかもRIOは段々と反抗の意思表示をするようになってきている。今のうちに上下関係をきっちりつけなくては!!!という焦りも、かなりあったと思う。本やビデオに目を通しては、ベストな躾/体罰の仕方を探した。LOZからは、RIOをささっと押さえ込む方法を特訓してもらう。正直その頃の私は、日々加速しつつあるRIOのスピードと障害物を難無く避けて、ガシガシ立ち向かってくるチャレンジャーなRIOにビビリつつあった。一歩脚を後ろに引く度に、「そこで脚を踏み出せ!」と注意された。犬には私達の一挙一動で心が読まれてしまう。


今振り返ると、本当に様々な方法を試したなあ、と思う。その中で一番効果があったのは、リーシュにつないでコントロールする方法。すぐに大人しくなる。そして最近は大分声や態度でも上手く落ち着かせることが出来るようになった。私達がなるべくその時その時の状況等を察して、RIOの気持ちを汲み取ろうとする努力をしていることもあるけど、たぶんRIOが沢山の事を学んでくれているんだと思う。例えば「噛む」という行為でも、力を加減するようになってる。ただ、悪い事、つまりしてはいけない事が完璧に解っていて、わざと自分の欲求不満をそれにぶつける。後でみっちり怒られることを知っていても、一応やる。


今後はそれが課題かな…。あとは公共の場でもきちんとマナーを守り、人間と一緒に行動を共にできる犬にすること。その為には毎日のトレーニング。基本的には朝の時間に決まったコマンドを練習する。トレーナーさんから学んだ課題を復習する意味を含めて。1ヶ月前には出来ていたことが急に曖昧になったり、出来なかったりするから不思議。犬の成長に合わせてトレーニング内容も微妙に変化していくらしいが、訓練した時間に比例して必ずしも順調に右上がりのグラフを形作っていくのではなく、上がっては平行になり、また少し上昇して停滞…のようにグラフも様々な形に変化するということ。私達もかつては目を爛々と輝かせて従順にトレーニングされてるRIOを眺めては、密かに「この子は天才かも!!?」と思ったものだ。今は「うーん、この頑固者!!!」とか「もう少し落ち着けば!!?」って思う方が多い…な。そう、完璧の道程はまだまだ遠い。


でもね、


最初は突然変化した犬共同生活及び慣れない毎日の散歩/トレーニングで、ぐったりしてた時期もあったけど、今は自分達がRIOに与えた時間と愛情の分だけ目に見えて彼の態度から、「絆」のようなものを感じ取れる。一緒に過ごしたたった4ヶ月が4年間くらい長く感じられる。本物の4年後には、お互いにどれだけ近くに感じられるんだろう。RIOからもらう、沢山の予想を裏切る「驚き」や「喜び」。今後果たしてどれだけ私達の想像を軽く裏切る「幸せ」を運んできてくれるんだろう。


今、こんなにワクワクしながら足元でアザラシになっているRIOを眺める。


たまらなく愛しい。



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RIOは生後約2ヶ月でトレーニングを始めた。


● 基本的なアイコンタクトから声をかけて気を引く練習。

<練習1>

1. RIOを自由に歩かせて、自然と自分の方に向かってくるようにする。
2. 集中力が散漫な場合、少しずつリーシュを引いてストレスをかける。(けど、絶対に引っ張らないこと)
3. RIOが真っ直ぐ向かってきたらモモの左側に抱えて持っていく。そして褒める。

<練習2>

1. 「RIO!!」と名前を呼ぶ。
2. 向かってきたら「Heel」と言って、モモの左側につかせる。
3. できたら褒めておやつをあげる。

<練習3>

1. 「RIO!!」「Come!!」を連呼しながらRIOと向かい合わせになって駆け足で動く。彼の興味を引くように、楽しそうに誘い込むのがポイント。最終的には名前と「Come」で自分の方に真っ直ぐ向かってくるようにするのが目標。


● 「Heel」と「Wait」の練習。

<練習1>

1. 歩く際に集中しない時や下に落ちている何かに気を取られた時に、「No,Heel」と言って軽くリーシュにショックを与える。決して引っ張らない。

<練習2>-お互いに向き合ってから「Heel」を促す方法-

1. 少しずつリーシュを引っ張りながら自分の居る方に来させる。
2. 左足を1歩後方に下げてリーシュを時計回りと反対方向に動かしながらRIOを左足の側面につかせる。そして「Heel」。
3. RIOを座らせたら膝に顔が付くようにおやつを与える。これは、常にオーナーの足の位置に付くことが嬉しいこと(安全で心地良いこと)だということを教えるため。

<練習3>-「Wait」の練習-

1. おやつを多めに持ち、手のひらを見せて「Wait」と言う。
2. 同時にリオの口を押すようにして座らせながら、おやつをあげる。
3. そして食べ終わる前に再度「Wait」を言い、手のひらを見せながらおやつを口に持っていく。
  (待っていれば良いことがドシドシ来る!!!ということを教える要領で)
4. もしも立ちそうになったら、また座らせて「Wait」でおやつをあげながら堂々と手のひらに注目させる。
  (この時には体を張って、堂々とすることが大切)
5. 前後だけの動きではなく、時には円を描くような動きやRIOの後ろにを回ったりもして、待つことを学習させる。


● 「Heel」「Wait」「Sit」「Down」のコンビネーション

1. ソーセージを使う。よく出来たら少し、すーごく良く出来たら多めにあげる。プラス、大袈裟に褒めてあげることも大切。
2. コマンドの途中に違う行動をしたら、すぐに「No」。首を横に振る動作を一緒にする。
3. 表情は真剣に。よく出来たら、喜んだ表情を見せることも重要。
4. RIOに考える時間を与える。そしてその後にどう行動するかを良く観察すること。
5. 動作をゆっくり自信を持ってやると、犬もゆっくり的確に反応する。そして楽しくやること。
  (トレーニングは楽しいものだと学習させる)
6. 「Rio→Down/Sit→Good boy→treat」の順番。で、「treat→Good boy→Down/Sit→Rio」の順で削っていくことが目標。最終的には名前とジェスチャーのみでコマンドに従うことができる。


● 今まで教えてきたコマンドを、一定のコース(コの字型)に組み込みながら形を整えていく。

<1周目>

1. スタート地点ではHeelのポジション。
2. スタートして普通の速度で直角に曲がる。「Heel!」という掛け声と共に曲がり、きちんと曲がれたら「good!」。(2箇所)
3. 折り返し地点ではまたHeelのポジション。(左回り)
4. 折り返し地点からは駆け足でまた、もとの位置に戻る。その時にも曲がるときにはHeelの掛け声。

<2週目>

1. スタート地点ではHeelのポジション。
2. スタートして途中、「Down/Sit」のコマンド。「Wait」の状態で曲がり角まで行って振り返り、20カウント。
3. 「Come」で呼び、来たらHeelのポジションに誘導。褒める。そこをスタート地点としてまた途中まで進み、コマンド。
4. これを折り返し地点まで繰り返す。「Down/Sit」はバリエーションを変えて。
5. 折り返し地点から、今度はゆっくり歩いてスピードを落として歩く練習。最後の曲がり角からはいきなり普通の速度で歩く。そしてHeelのポジションで終了。褒める。



※ このトレーニングは、後に「直線」コースで応用することになる。その他、「Stay/Stand」等も加わる。ただ、この後のメニューとしては、RIOのコマンド形式はあまり変わらないとしても、主にオーナーがリーシュをどのようにハンドリングするかということが重点的になる。RIOが成長すると共に、いかにこのリーシュ操作をマスターできているかが今後の共同生活にも影響してくる。RIOが私達に「してくれてる」という形から、私達がRIOに「させる」という要素を強く出していくということ。


今はまだまだ勉強中。地道にRIOと向き合って、声を掛け合って、理解し合おうとしてる私達の日々は続く…。





RIOが初めて自宅に来た。

満面の笑顔。


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余裕…。


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でも何か嬉しい…。


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寝ました。


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日本の実家にはオスの甲斐犬がいる。名前は「星龍号」という立派な名前。2年半前に妹の友達から譲ってもらった。最初は見るだけ…のつもりが見たらもう断然飼う気になっていた。私と母と妹。実はその頃父もこっそり「豆柴」のブリーダーさんに連絡を入れてたらしい。でも、知らされた金額にど胆を抜かれてた。


リュウは私が結婚後、初めての年末帰省中に実家に来た。Londonに飛ぶ数日前だった。LOZはもうすでにLondon生活に戻り、あとは私を待つばかり。まさか私が出発する日の朝に泣いて電話をかけてくるとは1ミリも想像してなったはず。(今振り返ると、その兆候は見えてたらしいが)


「日本滞在を延期したい…の。」
「どうして!!?理由は!!?」
「仔犬と一緒に居たいから…。」
「…。」


怒られました。みんなに。父だけが笑っていた。Londonには結局予定通りに帰ったけど、LOZは「犬に負けた。」としばらくぷんぷんだった。母には離婚されても仕方が無いよ、あんた!!!とまで言われた。ま、新婚だったしね。私も初めての夢にまで見た子犬生活に無我夢中で、すんごい屁理屈を並べて意固地になってたと思う。もうこの時期を逃したら、一生後悔する!!!次に会うときはもう成犬で、ぜんぜん駄目!!!みたいに。


変だよね。でも私にとってリュウはmy first dogで、もう限りなく奇跡のような存在だったから。甲斐犬の仔犬はまるで小熊。1日中見てても飽きなくて、夜はリビングで一緒に寝て、その愛くるしい動作に一喜一憂して…。


あれから2年以上経った今現在でも、リュウは相変わらず可愛い。逞しく大きく成長したけれど、仔犬の時から変わらないクリクリの瞳と、好奇心旺盛なくせに臆病な性格は未だ健在。


たとえ「ハイエナみたいで可愛くない」って言われても、
たとえ散歩はカツオの一本釣り状態になっても、
それでも目の中に入れても痛くない程可愛い。


リュウ、いつまでも元気で私のidolでいておくれ。


あと、毎晩パパの臭い靴下を咥えるのは止めてね。



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RIOが家族になったその日から成長日記をつけ始めた。午前と午後に分けて、食事やトイレの様子、そして訓練についてなど。細かい観察記録を後から読んでみると、かなり面白い。疑問点も笑える。その時は真剣なんだけど。


成長日記は少しずつ1日の時間の間隔が飛び、日にちが開くようになって、今は簡単な記録になった。けれど、記憶には妙にきちんと印されている部分が存在しているのも確かで、写真を見ると瞬時に浮き上がってくる。仔犬が成長する速さや命の神秘に驚かされるのと同時に、その時の自分の精神状態や気持ちの変化などもかなり明確な感じで。


不思議だね。結婚して自分のパートナーから学んだことは数え切れない。まるで鏡のようにいちいち自分が映し出される。RIOを育てる作業は、自分自身を育ててる。私達2人を育ててる。自分の内面を見詰めて色んな問いかけをする日々。


こんなに情けない自分を発見して落ち込む。


こんなに我慢が続かない自分に苛立つ。


そして、こんなにも愛情を溢れさせる自分の心に…震える。







2005年1月17日(月)-RIOを家族に迎える。


Breed : Rottweiler
Sex : Male
Colour : Black and tan
Birth date : 24/11/2004


RIOに出会う前には、色んなドラマが展開した。運命的な出会いもあった。私はRIOの母親(といわれる犬)を実際見る前に、成犬のロットワイラーを目にしたことは生まれてから一度もなかった。その大きなメス犬は出産後にしてはとても人懐こく、膨らんだおっぱいを揺らしながらかなりご機嫌の様子。LOZは一目散に近づいて行く。私は正直、怖かった。その迫力というか見かけの怖さに固まって動けない。勇気を出してちょっぴり触ろうとすると、跳びつかんばかりにチェーンをぐわんぐわん鳴らす。表情は笑顔に見えるけど、良く見たら顔の半分以上が口ではないか。思わず口の中を見入ってしまう。そして、頭がでかい。しかもバランス的に目が小さいので、余計に強面なのだ。LOZはもうすっかり魅了されていて、かなりのご満悦。あんなにゴツくてパワフルな犬にすっかり癒されていた…。


その後、仔犬たちと対面。メスとオスの2匹。私達は最初からメス希望だったので、オスの仔犬(のちにRIO)は眼中に入ってなかった。仔犬はまるでぬいぐるみのよう。メスの方を抱かせてもらうと、子犬独特な匂いに包まれて幸せな気分になる。陽だまりの香り。けれど、やはり大きく成長したロットワイラーは私の手に負える犬種では無いのでは…という一抹の不安が頭によぎり、結局その場を後にした。その後、自宅で狂ったようにロットワイラー情報をネットで調べまくる2人。


けれど、調べれば調べるほどロットワイラーが私のイメージする犬との生活に向いていないような感覚に陥って、困惑。性質はともかくとして、身体的な特徴や必要最低限の環境など、どうも今ひとつしっくりこない。LOZにも正直に私の気持ちを伝える。結局、翌日にSPCA(動物愛護団体)にまで出掛けてみることにした。気になった何匹かと接触を試みるけれど、様々な問題を抱えている犬が多く、実際に気持ちが前に進まなかった。帰り道はどんよりとした気分。さすがに悲しかった。


自宅の近所にさしかかった時、ふと目に入ったペットショップ。気の進まないLOZを尻目に中を覗くと、ずっと奥のグルーミング部屋にロットワイラーらしき犬を発見。興奮してLOZに伝えると、2人で中に入りじっと見詰める。グルーミング中の女性が手招きをしてくれる。そしてそのロットワイラーの散歩まで許可してくれる。彼女は日本人のドッグトレーナーで、この後RIOのトレーナーになる。男前の素敵な女性。すっかり舞い上がって2人で散歩に出る。4歳のウメ-SPCAから命を救われたロットワイラー。この瞬間、私のロットワイラーに対する先入観が消滅したと思う。多少頑固でも、従順でおっとりとした魅力を持つウメにすっかり心を奪われた。人間くさい、というか。散歩途中の超大量なウンコにも驚いたけど。


ということで、この運命的な出来事を通して、翌日にはトレーナさんと一緒に再び仔犬達に会いに行くことになる。


そして帰りの車にはふわふわのRIOが大きく首をかしげながら乗っていた。




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